2008年3月10日 (月)

キリンプラザ大阪

A06 昨夜、TVでKPOキリンプラザ大阪で開催されてきた現代アートの経緯を振り返った番組を見ました。あれから20年。もうそんなに?というのが正直な感覚。

建築はご存知、高松伸氏。学生時代にはのめり込みました。織陣やARK、PHARAOHらの流れからくる集大成的な建築でもありました。当初、光の行灯は中央に一つ聳え立つデザインでしたが、計画途中で情報が漏れた?とかで、ほぼ実施設計が完了していたにも関わらず、全面変更されたと聞きました。それほどまでのこだわりよう。建築家が一つの作品にかける想いを当時、まるで身体が痺れるように感じていた記憶があります。

写真は昨年末の関西若手建築家忘年会に参加する前に立ち寄った際に撮りました。既に周囲には仮設の塀が張り巡らされていましたが、ネオンが煌びやかにひしめく大阪ミナミの街角で、その都市の様相を全てその身に吸い込むかのような建築。その強烈な存在感は時代を越えてもそのままでした。もうこの行灯に灯りが燈ることはないと思うと心寂しく感じました。

時代の流れが速くなるにつれ、建築の寿命も短くなるようでは困ります。常々、建築にとっての財産は時間だと感じているゆえ、せっかく時間を身にまとってその奥深さが表れてこようとする前に取り壊されることなど許せません。ましてや建築学会賞をはじめ、数々の受賞暦のある建築であるにも関わらず、です。世界的に知れ渡っている建築であるにも関わらず、なんです。

建築は完成までに様々な人の想いが重なり合って初めて実現されます。その数々の想いが消えてしまうのです。空しいですね。建築は記憶の中だけでは建築にはならないんです。人がその建築が醸し出す空間に空気にその身を置いて初めてそこに建築を感じるんです。それがもう出来なくなるんですから。

これは一つの社会的な問題でもあります。一方でエコだの何だの言っておきながら、もう一方では相変わらず未だにスクラップ&ビルドです。出来ればリノベーションなどで新たな時代を汲み取った建築に生まれ変わることを期待したいのですが・・・この20年でここから巣立ったアーティストたちが集まって何らかの方向性を訴えることは出来ないのでしょうか?もう時既に遅しですか?・・・皆さんはどう思われますか?

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