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2009年1月17日 (土)

1.17

阪神淡路大震災から14年・・・

大阪から芦屋に引っ越して以来、毎年この日が来ると街中の空気感が変わる。

今は子供たちが震災を知らない世代が、震災について学んでいる。ちょうど小学校の先生が子供の頃、被災されて教師になり、今年初めて担任され、生徒に初めてあの日のことを語られた、そんな様子がTVで流れた。

あの日、実際、僕は何もできなかった。そう、何も。

でもあの日から、建築に携わる身として、建築は人の生命を預かっている仕事だと強く認識する。だから近頃の高層ブームには警鐘を鳴らしたい。

建築業界は例の構造偽装事件から、社会的信用性を失ってしまっている。その後、数々の規制が生れたが、変に複雑化しただけで何も変わってはいないと思っている。

そもそも建築基準法なんて「基準」にしかすぎない、と考える。その基準を基に自分は建築家としてどういう答えを導き出すかということだと常々考える。しかし、周りは残念ながら、そうは考えられていないようで、何とかかんとかその基準法さえクリアすればいいというのが一般的なようだ。

構造だけではなく、避難経路や防災設備など、下手をすれば緊急時に人の生命を脅かすような要因が各所にあり、建物の用途や規模が大きくなるほどそれらが複雑に絡み合う。

助かる生命、失ってしまう生命。一つ一つの生命の重さが重く圧し掛かる。世の中の建築に関わる人たちが、少しでも多く、その重みを感じながら日常の業務に全うされることを願って。

建築は自然を相手に戦っている。だが相手の自然は未知数だ。その未知数の自然相手に定められている法律は仮定にしか過ぎない。その仮定している数値を上回る地震が起これば建物は崩壊する。地震だけではない。建築が崩壊するとき、それは人に対して最も危険な凶器になることもあり得ると考える。

・・・という想いが根底にあり、目の前のプロジェクトをどうする?という自問自答が今日も続くのでした。

実際には震災はまだ終わっていません。そう思います。だからこそ、これから生れくる建築がいろんな意味で人を幸せにできるような、そんな建築を生み出すことができれば・・・と思わずにはいられないのです。

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